雑談

2012.09.08

寿命の話 (番外編 ) ー 医者にかかるのも寿命の内

作者不詳◆紙に水彩画◆西洋の風景-1 - コピー (2)_R.jpg

生物学的に、人の寿命を考えてきましたが、社会の中で寿命を決定する要因は、他にもありそうです。例えば、医療制度。アフリカなどの国々では、考えられないぐらい医療制度が未発達で、爲に小児の死亡率が高いことなどが知られています。冬季小児下痢症として知られているロタウイルスにより、アフリカ全体では1年間に3百万人ほどの小児が無くなっていることが知られ、これを克服するために、ワクチンを投与して、小児の死亡率を減らそうとするWHOのプロジェクトがありましたが、これ等がその一例だと言えます。
 ひるがえって、日本では昔より「医療(地獄)の沙汰も、金次第」なんていう俗諺があり、医療制度が発達した現代の日本でも、お金により、寿命が左右されることが起こっています。例えば、高度先進医療として、癌の治療における、癌ワクチンなどがそうです。これは、癌で延命効果がはっきり認められていますが、保険では未だ認定されておらず、自費診療となっており、莫大な費用が掛かります。お金がなければ出来ない医療、なんてものが存在するとは、なかなか信じてもらえません。
 癌に対して、延命効果のある薬を求めて、漢方薬の中にそのようなものが有るかどうかを尋ねて、わざわざ遠路やって来られる方があります。癌という病気を、病邪と正気の戦いと考えて、癌に対して抗癌作用のある生薬を使い、正気を助ける補気薬を使うという形の使い方を、中国などではしています。抗癌作用のある生薬は、言ってみれば、癌細胞を殺す力のある生薬で、普通に言えば「毒薬」であり、アルカロイドを含むものがほとんどです。正気を助ける補気薬などの生薬は、免疫力を高めますが、同時に癌細胞も元気づけるという面があります。
 日本では、抗癌作用のある生薬は、なかなか手に入らないため(毒薬ですからそれも当然と言えます。)、ほとんどの場合、正気を助ける補気薬だけを出しているようです。例えば、十全大補湯とか、補中益気湯とか、六君子湯などがそうです。理屈から考えて、癌が出てきたという事は、その人の免疫力に打ち勝った癌が出てきたわけですから、癌の方が強かったわけで、正気と癌と、共に元気づければ、さらに癌の方が強くなると、どうして考えないのでしょうか?これは、明らかに誤治です。
 思慮の足らない治療を受けて亡くなったとしても、やはり癌だから助からないと考えるのは結構ですが、“何か、おかしい”と感じませんか?
 これに類する話は無数にあり、医者の力量が、患者さんの余命を決めていると思われることが沢山あります。病気を正しく対処して、正しく直さないと、根本の病気は、いつまでもどんどん深刻化し、難病化します。痼弊化すると表現しますが、このような病気が内部に入り込み、おかしくなって行く事が有ることを,伏邪化すると表現しています。それだけではありません。余熱未清と言われることが起こると、次の病気を作りだします。例えば、風邪の病後に起こる不整脈などがそうです。不整脈から、心臓の内部に血栓ができ、それが千切れて飛んで脳梗塞に進展し、半身不随となり、廃人と化すというわけです。たかが風邪と侮どった結末が、半身不随の結末では、「後悔先立たず」としてはお粗末すぎます。
 現代医学は、どこでも同じような医療が受けられると思っておられるかもしれませんが、以上の話で、そんなことはないと、お分かり頂けたのではないでしょうか。
まことに「医者にかかるのも、寿命の内」と実感していただけましたでしょうか?
 

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