病気の解説

2012.02.16

子供たちの慢性疲労症候群ーその1

02-1-T.F.藤島武二-油彩画.jpg

慢性疲労症候群―子供の登校拒否の原因の一つ
 
子供たちの慢性疲労症候群
(その1)
 
以下の文章は、ずいぶん以前に(20年も前!)
 1992年 季刊「教育法」 秋
という雑誌に投稿した文章を採録したものです。
 
ここで論じられている「慢性疲労症候群」という病気は、残念ながら、20年たった今(2012年)でさえ、未だに完全には解決されていません。むしろうつ病等と誤診されて治癒せず、激しい疲労感に悩まれている患者さんたちが大勢いるというのが、現状と思われます。NHKのテレビでも取り上げられ(平成24年2月15日放送の、みんなの健康という番組)、働いている方が、突然に病気になるモノの一つとして、放送されています。
大人の病気としてはこれでよいわけですが、子供の場合は、教育問題とも絡み、登校拒否児や、虚弱児として、メンタルなことばかりで問題にされ、身体的なことはあまり考慮されていないようです。再度、ここに収録して、皆さんの参考にしていただきたいと思います。
 
 
子ども達の慢性疲労症候群
 
--疲れ易い子どもは、病気なのだろうか?それとも、虚弱児なのだろうか?--
 
 現代は、どのような時代なのだろう?これに対して、ある人は、絶えざるイノベーシヨンにより自己変革をとげてゆく現代の先端工業企業群に代表される時代である、と答えるであろう。また別の人は、家庭電化メーカーにみられるように、大量少品種生産の時代は終り、デジタル録音やハイビジョンに代表される、高品質の商品を多品種少量生産する時代だと答えるであろう。
この時代認識の是非はともかくとして、このような現代社会は、そこに生きる我々の心身に、ストレスという形で、多大の影響を与えていることはまちがいないだろう。
子どもの世界にも、この現代の様相が色濃く反映されている。時代の流れに乗りおくれさせまいとして、親は子どもの教育に必死になっている。子ども達は学校や塾の勉強に追いまくられ、受験勉強で神経をすりへらしている。
そこで、子ども達が「疲れた、疲れた」と言い始めた時、親達はこの受験戦争のせいだとしがちである。しかし、本当にそうなのだろうか?病的な疲労を考えなくてよいのだろうか?何故ならば、病的な疲労はその子独自の問題であり、疲労を与える受験戦争という環境に、全ての子どもがさらされているから、もし疲労が受験戦争のせいならば、全ての子どもが「疲れた、疲れた」と言ってよいハズだからである。
休養をとったり、睡眠を十分とれば、普通の疲労ならばとれるハズである。それでも抜けきらない疲労は病的ではないだろうか?
これに対しても、抜けきらない疲労はストレスが大きすぎるからだとか、ストレスを与え続けている環境から抜け出せないでいるからだ、とかいう説明がなされたりしている。本当にそうだろうか?ストレスという環境由来の要因が、第一義的に問題になるのだろうか?むしろ、それを受ける個人の身体の方が問題にならないのだろうか?
ここで、このことを考えるのに重要なヒントを与えてくれる症例がある。それは、日本で慢性疲労症候群という病気の第一号患者に認定されたケースである。これは、新聞や雑誌などで取り上げられて御存知の方も多いと思われるが、もう一度ここで紹介させていただこう。
症例は、一九八九年当時三〇歳の看護婦さんである。この方は、二十歳頃より、微熱や起き上がれないほどの疲労感、リンパ節の腫張に悩まされていたとのことである。病状は一進一退で、元気になった時は仕事をし、しばらく働いていると、働くことができない程の疲労感が出現して、仕事を休んで休養する、といった生活を続けてきたとのことである。いろいろな病院を受診したが、診断がつかなかったり、病気ではないと言われ続けた。最後に、大阪大学微生物研究所の木谷教授のもとで、慢性疲労症候群と最終診断がつけられたが、治療法がないため、病状は一進一退をくりかえしているとのことである。
このケースの場合、環境由来のストレスは仕事だけで、従って、仕事をしたくないからだ、とか、なまけ病だとかのレッテルをはられていたようである。慢性疲労症候群という診断が下ったということは、この患者さんの体が何らかの病気に侵されているが、現代医学では未だ原因不明であるということを意味している。つまり、病気のためにすぐに疲労を訴える体になっているというわけで、環境要因でなく、身体要因――つまり慢性疲労症候群という病気――が第一義的に問題だったというわけである。
先述した「疲れた、疲れた」と言っている子ども達の問題は、この慢性疲労症候群の小児版と考えられないだろうか?登校拒否児の一部は「しんどくて体がダルいから学校へ行きたくない」と訴えているが、この子ども達はどうなのだろうか?また、学校の朝礼の時にバッタリと倒れるような、いわゆる″虚弱児″の場合はどうなのだろうか?
筆者は、これらの子ども達は、慢性疲労症候群にかぎらず、何らかの慢性疾患を抱えており(この慢性疾患を発病していてもよいし、発病途中でもよい。また、医者に診断を下されている、いないにかかわらない)、その病気のために体調が悪いのだ、と考えている。つまり、子ども達が、「疲れた、疲れた」と言い出した時、たいていの親達は、病気ではないかと疑い、医者の所へ子ども達をつれていく。しかし、通りいっぺんの検査では、異常所見がないことが多く、――しかも、この慢性疲労症候群は、普通の尿検査や、血液検査に大きな異常がないことが特徴なのだが――そのため、気のせいですよと医者から言われたりする。そこで、その子ども達は、虚弱児とか、登校拒否児とかのレッテルをはられることとなる。
先の慢性疲労症候群のケースは、この虚弱児という診断や、登校拒否児というレッテルは、正しい判断ではないことを教えてくれている。病気ならば、検査で異常所見が出るが、通りいっぺんの検査では「逆、必ずしも真ならず」というわけで、異常所見がないから、病気ではないとは言えない。このような見つけ難い疾病が、子ども達の疲労の背景に隠れていることが多かったというのが、筆者の考えである。
  
「学校に行きたくない」という登校拒否児の場合、子どもの心や精神の問題として考えられるケースが多いのも、筆者は熟知しているつもりである。そのような場合、カウンセリングにより、いじめや、授業についていけない、能力のギャップがあること等が判明して、適切な処置により解決されたことが多いであろう。しかしながら、上に述べたような子ども達が、登校拒否児のグループの中に、 一部まぎれこんでいるのも事実である。
「朝起きられない」とか、少しの運動をしてもすぐに疲れてしまうとか、朝礼が長びくと倒れてしまうとかいう、いわゆる〝虚弱児″にもそれらしい病名がつけれていることが多い。曰く「低血圧症」、曰く「脳貧血症」、曰く「自律神経失調症」等々である。しかしながら、残念なことに現代科学・医学は、これらの病態の真の原因をつきとめたとは言い難い。したがって、根治療法でなく、スポーツをして体を鍛える等という間接の方法で、「虚弱児」の治療に当たっているのが実情である。いずれにせよ、「虚弱児」の背景に何かありそうだとは、お医者さん達も気付いているのは確かである。
 
上記のような問題を考えてゆく上で、もう少し問題がある。それを考えてみることとする。それは、慢性疾患の場合、発病してから診断がつくまで、何年という長い年月がかかる病気があるということである。膠原病と呼ばれる病気は、長い経過をたどる病気であるが、診断されるまでもしばしば時間がかかることが多い。こういった病気の場合、医者の診断が下るまで、患児は、場合によれば、登校拒否のレッテルをはられることもある。
膠原病以外にも、このような時間のかかる慢性疾患もある。筆者は、肺結核で虚弱児と診断されていた症例を経験している。肺結核?と不審に思われる方もおられるかもしれないが、レントゲン写真でも見つけにくい結核もあり、また、ゆっくりと発病する結核もある。小学校、中学校は虚弱児と言われて、体育も見学していた児が、二〇歳をすぎて喀血し、初めて肺結核と診断された症例である。こういう症例を経験すると″虚弱児″という診断でいいのだろうかと、いろいろ考えさせられる。
以上は、″虚弱児″とか、″登校拒否児″とかいった子ども達の〝診断″の問題点であった。次に、それ等の病気を治す、治療の問題点を考えてみることにしよう。
 
まず、「診断」と「治療」のかね合いの間題がある。現代医学の基本には〝診断なければ治療なし″という原則があり、従って、診断がつかなければ、しばらく経過を観察することになっている。このことは、患者サイドでみれば、苦痛をとってもらえないという都合の悪いこととなる。苦痛の程度がひどくて、何らかの対処が必要と考えられる場合は、仮の診断の下に投薬をすることがあり、薬の反応をみて診断を下すことがある。我々はこれを〝治療的診断″と呼んでいる。
 
次に、治療そのものも、いくつかに分類されるのだということを知る必要がある。
第一に根治療法。病気の原因がはっきりと判明しており、また、その原因を除去する方法がある場合にとられる治療法である。例えば、肺炎球菌に対する抗生物質による肺炎の治療や、早期胃癌の胃摘出術等がそれにあたる。この治療法が適応となるのは、残念ながらそれ程多くはない。
第二に補助療法。薬等では原因除去は不可能ではあるが、生体の自然治癒力で原因が除去される場合は、その自然治癒力を高めるような治療法である。例えば、インフルエンザ等の場合、高熱に対して、熱さましの薬を投与したりすることといえよう。治癒可能な疾患に対しては、この補助療法と次に延べる対処療法の組み合せをお医者さんが患者さんに施行して、病気の治療にあたっているのがほとんどであると言える。
第三に対処療法。痛みに対して鎮痛剤、咳に対して咳止め、といった方法のことである。治らない末期癌の痛みに対して麻薬を使ったりするのも、この中にいれられている。
では、慢性疲労症候群の患者さん達や自律神経失調症の患者、ひいては〝虚弱児″に対しては、どの治療法をお医者さんがとっているのかとなると、病気の原因が不明のため、第二の対処療法ということになる。
医者としての筆者の観察は、精神安定剤や抗うつ剤等では、自律神経失調症やうつ病――慢性疲労症候群の患者達に抗うつ剤を投与するのが、アメリカでは主流となっている――は治らないことを示している。つまり、これ等の薬を服用している時は、一部の症状はとれているが、薬を服用しなくなると症状は元の黙阿弥になることがほとんどである。
ということは、これ等の薬が、元の病気を治す力がないのか、病気そのものが治らないかのどちらかである。病気を根治する力がない薬を飲みつづけなければならないとしたら、高血圧のような治らない病気は別として、つらいことであるし、また、治らない病気であるとすれば不幸なことではある。
以上は、慢性疲労症候群や自律神経失調症等の、原因不明で、せいぜい対処療法しかない病気と現代医学の問題点であった。
 
しかしながら、実は日本にはもうひとつの医学体系があり、上記の原因不明の疾病にとり組んで、成果をあげているのをご存知の方がおられるかも知れない。それは、漢方医学の体系である。慢性疲労症候群の患者さん達に人参養栄湯を投与して元気になったと報告しているカネポウ病院の症例や、自律神経失調症に小建中湯を投与して成果があった報告や論文は、枚挙にいとまがないくらいある。  
筆者の診療所での治療例をあげて、それに対する筆者の私見を述べることとする。
 
子供たちの慢性疲労症候群(その2) に続く
 
補遺
国国立疾病予防センター(CDC)が作成した、慢性疲労症候群の診断基準は、下記の通りである。
 
慢性疲労症候群の診断基準(CDC、 一九八八年)
 
大項目
1 六ヵ月以上持続ないし再発する疲労・倦怠感(日常生活が五〇%以上損なわれる)
2 よく似た症状がでる他の病気ではないこと
 
小項目
1 自党症状
微熱または悪寒 ②咽頭痛 ③リンパ節の痛みを伴う腫れ ④筋力低下 ⑤筋肉痛ないし不快感 ⑥軽い作業の後、二十四時間以上続く全身倦怠感 ⑦頭痛 ⑧腫れなどを伴わない移動性関節痛 ⑨精神神経症状(光線過敏、一過性暗転、健忘、興奮、混迷、思考力低下、集中力低下、うつ状態)⑩睡眠異常 ⑪発症時、上記の症状が数時間から数日の間に発現
2 身体所見(一ヵ月以上の間隔をおいて2回以上)
 ①微熱 ②非浸出性咽頭炎 ③リンパ節 の腫れまたは圧痛
 
大項目二つを満たしたうえ、自覚症状が六つ以上、身体所見が二つ以上、または自覚症状が八つ以上合致しなければならない。
 

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